認知症の祖母ヒサ子が食事を摂らなくなっていきました。食べないと体力が無くなって死に近づくということを理解していた私も母もどうにかして、食べさせなければ!と必死でした。そこから、母が胃ろうを造設したいと言い始めたことから家族間での大バトルが始まりました。胃ろう反対派と、賛成派でまっ二つに意見が分かれたのです。
この記事の目次
1.認知症の最終形態とは
認知症で「食べた事を忘れる」というのはよく聞くかもしれません。
食事を食べた数分後に「ご飯はまだ?」と聞いてみたり、「自分だけまだ何も食べていない。」と言ってみたり。施設で勤務しているときにも、介護保険病棟(介護保険で賄っているため、介護度の高い方が多く施設と同様の病棟)で勤務しているときにも、そう言う方がいらっしゃいました。
そんな時には「今、ご飯を炊いていますからもう少しお待ちくださいね」などの対応をしていましたが祖母ヒサ子は食べることを忘れてしまったのです。それまで体調の悪化で食べられなくなる方はいても、食べること自体を忘れてしまうなんて初めてでした。
食べるものも工夫して、ほめたり、叱ったり、色々と手を加えてみましたが口を開けてくれないのです。どうやって口に入れればいいのか。スプーンを押し付けて開けるように言っても、もちろん開けてくれません。孫の私に出来ることはないのか、やり方が悪いのか、食べたいものがないのか。何をどうすればいいのか分からなくなり困り果ててしまいました。
2.現役看護師親子の意識と認識の違い
その当時、胃ろうがとても重宝されている頃でした。口から食べられなくなっても胃に直接穴を開けて栄養剤を流し込めば、簡単に生命維持できるようになっていたのです。正に、画期的な方法であり看護する側も簡単にできる栄養療法となりました。
介護保険病棟に五年勤務している間に私は
「人の生き死にとは何なのか、生きることと死ぬことはどちらも尊く、むやみに延命をすることは尊厳を損なうことである」という自分自身の看護観を固めました。
一方、母は
看護学生時代には働きながら准看護師資格を取り、結婚、出産で専業主婦を16年経た後の総合病院勤務や、退職後は管理者として施設の立ち上げや介護業務やヘルパーステーションで仕事をしており、在宅での高齢者介護においてはスペシャリストと言えました。
どのような人も「長生きさせてあげたい。」というのが母の看護観でした。
親子で医療従事者であっても、正反対に意見が分かれてしまいました。
3.生きるために食事はある
全く正反対の意見となった親子ですが、祖母の食事に関しても正反対でした。
祖母は食べることが大好きでした。認知症になる前は、「蟹を食べたい」「ステーキを食べたい」「ぶどう酒を飲みたい」「おいしい卵焼きはこうして作るのよ」などとにかく食に対してこだわりが強く、食べることに貪欲な人でした。
その祖母が全く食べなくなったという事は、
食べない→栄養がない→体力が落ちる→寝たきりになる→死ぬ
という流れが容易に想像できるわけです。
食べない祖母を看ている。それは家族にとっては、物凄く長い時間で、辛い時間でもあります。
人は食べないと、排泄も無いのです。食事も水分も摂らないので、排泄の尿も便も少なくなります。身体が瘦せ細っていくのが目に見えてわかります。
口を開けてくれないので、唇の端っこからストローを差し込んでみました。口の中に入ったものは反射的に吸うことがわかりました。
高カロリーの栄養剤を吸ってくれるようになり、一時的にその栄養剤で急場をしのぎましたが、徐々にそれすらも出来なくなります。
母は、在宅医に相談して点滴を処方してもらい訪問看護師が来て、毎日点滴をすることになりました。自分の意志で動かなくなった祖母の両手、両足は点滴の痕だらけになり、更にやせ細っていきました。
4.実録 ! 家族会議
今後はどうなっていくのか?点滴が入らなくなったらどうなるのか?ひ孫たちや娘婿の父は医療従事者ではないので、その先がどうなるのかがわからず「ばあちゃん、こんなに痩せてガリガリだね。ご飯食べないから?この後はどうなるの?」と聞かれることがありました。
母は「胃ろうを造りたい」と言い出し、私は真っ向から反対しました。
実録:家族会議
母:食べられなくても胃ろうを造れば長生きできるのよ
私:胃ろうを造ったからといって、起き上がれたり歩けたりするまで回復するわけじゃないんだよ。寝たきりで味も素っ気もない栄養だけで生きているのに何の意味があるの?
母:そこに居るだけでいいのよ
私:そんなの幸せだって言えないでしょ、自分の意志でそこに居るわけではないんだし
母:あんたは自分の親じゃないから、そんなことが言えるのよ
私:自分の親にでも同じことを思うけどね!人に自分の体を触られるのって苦痛でしかないでしょ?私なら食べられなくなったら枯れて死にたいと考えるわ。子供たちにもそう言ってある。寝てばかりいるのって体中が痛いし、体位変換で身体を触られるのも痛いし、おむつ交換もされたくないよ。ばあちゃんもそう思っていると思うから、楽にしてあげたいと思うのはおかしいの?
母:簡単に言わないで!自分の親だからこそ長く生きてほしいのよ!もう、私の親はばあちゃんしか居ないんだから、居なくなるって事があんたには分からないでしょ!
私:親が亡くなったことはないけど、理解できるよ。職場でもたくさん見てきたけど胃ろうを造って幸せそうだと思えた人は一人も居なかったから。ばあちゃんも同じだと思うよ。
ひ孫娘:胃ろうって痛いの?
私:胃ろうを造るってね、お腹に直接穴を開けて胃と結び合わせるの。耳に開けるピアスと同じ原理だけどね、男の先生(医師)が力いっぱい引っ張って穴を開けるんだけどお腹から引っ張られて体が浮くほどの力を使うんだよね。それを見て、あまりにも痛そうでね、あんなのを見たら絶対に自分の身内にはしたくないと思ったのよ。だから、ばあちゃんにも痛い思いしてまで、辛い長生きをさせたくないの。
母:麻酔してやるんだから大丈夫でしょ。
私:傷は傷だし、痛くないことは無いよね。背中が丸まってきて身体も小さくなってきているし、こんな状態のばあちゃんに無理させたくないけどな。
母:(泣きながら無言)
といった内容でした。結局、答えは出ませんでしたが、この数日後に新聞に胃ろうについて書かれていた記事を見て、母は私に「胃ろうって延命なんだね」と言ってきました。
結局胃ろうは造らず、口から注射器を使って栄養を入れて飲み込ませるという食事の方法を使いつつ、訪看に点滴をしてもらったりしながら経過しました。
5.まとめ
話し合いは平行線でしたが、最終的には母が折れたのか、理解したのか?
胃ろうは造らず、無理に延命を行わなかったことが結果的にいい最期につながったように思います。娘である母も、祖母の死に顔を見て「穏やかな顔でよかった」と言っていて、この結果が最善だったと言えるのではないでしょうか。
私はすべての胃ろうをダメだとは思いませんが、少なくとも治る見込みのない人に対しての胃ろうはお薦めできません。生きることが自然なことなのであれば、死ぬことも自然なことであると考えます。自然の摂理に反してまで生命を伸ばすことは、その人の尊厳を踏みにじる行為だと思えるからです。もし、自分だったらと考えてみたときに、胃ろうからの味気ない栄養剤を流し込まれるだけの生き方でいいのか、ご家族を含めよく考えてほしいと思います。
この記事を書いた人
看護師:栗巣正子
<経歴>
看護師歴 23年
大阪府堺市で、50床~2000床の病院勤務(内科、外科、手術室、整形外科、療養病棟)。
離婚後、鹿児島県鹿屋市にて、老人保健施設、透析専門クリニックに勤務
大手生命保険会社に、営業主任として3年勤めた後、地域密着型の内科総合病院に17年(介護保険病棟、療養病棟、急性期病棟、心臓内科、腎臓内科、肝臓内科、消化器内科、呼吸器内科、腹膜透析、血液透析、外来、救急外来、訪問看護)勤める。
現在は、派遣ナース、非常勤での健診スタッフ、訪問看護指示書作成等の委託業務、ナース家政婦登録
<資格>
正看護師/普通自動車免許/大型自動車免許/けん引免許/たん吸引指導者/ペットセーバー/労災ホームヘルパー(A)