この度の能登半島地震により被災された皆様にお見舞い申し上げます。
美しい能登の復興と、皆さまの安全・ご健康を心から願っております。
この痛みを自分事として受け止め、日本の教訓となるよう心して起稿いたします。
当サイトの執筆者の一人である中村悦子さん(64歳・社会福祉法人弘和会 訪問看護ステーションみなぎ管理者/全国ボランティアナースの会キャンナス)は、石川県輪島で被災しました。
元旦の深夜になって連絡が取れるまで気が気ではなかったが、無事が確認できたときは胸を撫でおろしました。
しかしながら今回の震災による甚大な被害は、今までと比べ物になりません。
1ヶ月経過した今、どういう問題が起こっているか電話で話を聞きました。
この記事の目次
能登半島地震 発生時の様子
「お!地震だ!」
立ち上がったが、すぐにおさまったので座り直そうとしたとき大きく揺れた。
キャスター付きの椅子に座っていた男性看護師が、椅子から滑り落ちるようにして机の下に入っていった。
中村氏は、前日12月31日の夜、倒木で自宅が停電したため輪島市内に移動し、事業所で事務作業をしているときだった。
揺れが少しおさまり他のスタッフとともに外に出た。
見ると、隣家のブロック塀が崩れ、訪問車の後ろのガラスが割れていた。
地面が異常に隆起し、液状化が始まっているのを見て「津波が来るかもしれない」と思った。
慌てて車からコートを取り出し、3人で高台に逃げた。
とにかく高台に向かって走った。
携帯の電波はつながっていた。
土砂災害警戒区域にある自法人の小規模多機能施設に連絡を入れると、管理者が「順番に避難させています」と答えたので応援に入った。
そして福祉避難所となっている自法人の「地域生活支援ウミュードソラ」に避難した。
電気が通っていたので助かった。
訪問看護利用者50名の安否確認を急いだ。
施設はケアを要する被災者が40名となり、救援物資が届くまでお米を炊いておにぎりを食べた。
1月3日には同志のキャンナスメンバーが富山から駆けつけてくれ、思わず抱き着いて号泣してしまった。
その後、山梨県の古屋聡医師率いるフルフル隊(口腔ケア実践チーム)が駆けつけ、切れ目ない支援を受けることができるようになった。
他にも、仲間の歯科医や歯科衛生士が誤嚥性肺炎を回避するために口腔ケアグッズをたくさん持参して、悪路の中をいつもの3倍の時間をかけて来てくれた。
感染症、合併症との戦い
福祉避難所として輪島市と提携していたため、物資は比較的早く届いた。
数日間はおにぎりやカップラーメンだったが、魚肉ソーセージやサラダチキン、バナナやミカンなどを避難者に配ることができるようになった。
物資は一つの箱にいろんなものが詰め込んであり、高齢者の食べやすいもの、タンパク質、食物繊維、ビタミンなど、仕分けをしながら栄養管理に頭を巡らせた。
「ただ目の前のことに集中するだけ。先のことは考えられない。それは今も同じです。」と中村氏は話す。
断水が続き、感染症の蔓延を危惧
感染症は環境問題だけではない。
抵抗力が低下することによって蔓延しやすくなるため、生活全般と施設全体に配慮する必要がある。
トイレはビニール袋に新聞紙を敷いて、カットした紙おむつを置いて排泄してもらったり、ラップポンという簡易トイレなどを活用したりした。
高血圧やトイレ歩行が不安で水分を控える人や、運動不足が原因で便秘を訴える人が多くなり、心肺機能の低下、ストレスやエコノミー症候群など、合併症や持病の悪化も危惧された。
インフルエンザ、コロナ、ノロウィルス等の感染症が起こり始めた。
ある避難所では8割の人がノロウィルスに感染したと話を聞いた。
中村氏の福祉避難所には個室があるため感染者が隔離のために連れて来られることもあり、寝たきり等の被災者が多いことから、細心の注意を払う必要があった。
また、集団生活が難しい人が連れて来られることもあり、心のケアも必要とした。
比較的若い人は車中で寝袋等を使って過ごす人も多く、長期化による体力の低下、抵抗力の低下がますます高まっていく。
自衛隊による入浴が可能になったのは3週間経った頃。
しかしながら冷え切った体で急に温まると、循環動態が急激に変化するため、とくに高齢者は危険になる。
中村氏自身も数週間ぶりの入浴で発熱してしまったという。
現在は手作業で水汲みをしながら洗濯できるようになったとはいえ、十分に水を使うことはできず、ひと月経ってもシーツや毛布を洗えないことが気がかりだ。
災害関連死とは?
『災害関連死』という言葉をご存知だろうか?
2016年に起きた熊本地震の頃から聞くようになった。
地震による直接的な死亡原因の多くは、家具の転倒や天井の落下など、圧死や外傷が多い。
対して災害関連死は、環境の変化やライフラインの停止によって身体的及び精神的な負担が大きくなり、突発的な症状や持病の悪化等で亡くなる場合をいう。
つまり助かった命が、生活環境の激変により失われてしまう。
それだけ避難生活が過酷であることを意味し、災害関連死は東日本大震災では3792人だった。
そして2016年の熊本地震では、地震の直接的な原因で亡くなった人は50人だったが、災害関連死で亡くなった人が218人だった。
表面的には現れにくい数字だが、救えたはずの命が4倍以上失われたことになる。
しかしながら『災害関連死』という言葉は、あまり知られていない。
周囲の看護師に話してみたが、「災害で亡くなった人のこと?」という反応だった。
非常に重要であるにも関わらず、医療従事者にも知られていないのが災害関連死だ。
その要因は複雑に絡み合っており、何か一つの対策で解決するものではない。
災害派遣チーム・DMATなどが被災地から引き上げた後も、時間経過とともに、見えない原因で命が奪われていく。
災害関連死の原因で最も多い? 意外すぎる要因
内閣府が明示している災害関連死の症例には、疲労による心疾患の悪化、肺炎、交通事故、及び体動が激減することによるエコノミー症候群、そして栄養障害による持病の悪化などが挙げられている。
避難所生活や車内生活など環境が変わることによるストレス、あるいは度重なる揺れによる恐怖など心因性のものと、不十分な栄養や運動不足による身体的な原因が考えられる。
電話の向こうにいる中村氏からは、ごく普通に災害関連死という言葉が聞かれた。
そこで、
「中村さんが思う災害関連死の要因で、今いちばん多いと感じるのは何ですか?」
と尋ねてみた。
すると即答で【窒息】と返ってきた。
その言葉を聞いて、思わず「えっ?窒息?!」と聞き返してしまった。
筆者も看護師であるが、窒息と災害関連死がすぐに関連づかなかった。
窒息はこのような経過で起こる。
多くの高齢者は周囲に迷惑をかけることを嫌がり、トイレに行かなくていいように水分摂取を控えようとする。
また、ライフラインの遮断や物資の不足により、食事の摂取量も激減する。
しかしながら数日経つと空腹になるため、仕方なく手近にある”おせんべい”や”パン”を食べようとする。
ただ、このとき体内は水分が枯渇しているため口の中がカラカラに乾燥しており、その状態で固形物を食べることで不意に窒息してしまう…ということだ。
また、暖房の乾燥により口腔内が乾燥することや、過緊張が続くことで起こる反射機能の低下も考えられる。
助かった命を守るためにできること
1ヶ月経った今も、輪島市は水道が復旧していない。
そんな中であっても高齢者が食べやすいよう、白菜や大根など煮炊きものをしている。
突然の震災で義歯を入れずに避難する人も多く、普段以上に食べづらくなる。
電気が通っているため、野菜を柔らかくする調理器が届いてから、助かっているという。
食欲のない人にはファイバー入りのドリンクや、果物を勧めたりもしている。
中村氏は2007年に起きた石川県の地震を教訓に栄養学を学んでいた。
災害関連死を防ぐためにもっとも大切なのは「お口」だと話す。
些細なことであっても高齢者の身体への影響は大きい。
避難所では周囲に迷惑をかけてはいけないという気遣いから、普段と比べて口数も少なくなる。
それが窒息の一つの要因にもなると中村氏は言う。
避難している人たちに極力話しかけ、話すことで唾液の分泌を促すようにしているとのことだった。
口腔ケアチームがいち早く避難所に到着し、口腔内の清潔を維持するとともに、粘膜に刺激を与えることによって唾液の分泌を促すこともできる。
年齢、環境、疾患等により、栄養管理はさまざまだと思う。
食物繊維、タンパク質、水分など考慮し、誰に、どのタイミングで、何を食べていただくかを考える必要がある。
中村氏は、被災者によっては
「いつかここを出ないといけんときが来るんよ。ここは中継地点やけんね。その時に備えてしっかり食べて、動いて、出して、体力つけて。」
「どこへいっても生きていけるようにならんといけんよ。」
と声をかける。
奇しくも中村氏は、当方で「高齢者の食支援」をテーマに執筆中だった。
その中に「食べられるお口ですか?」という記事がある。このさぽくるサイトにあるので、ぜひご覧になってみてほしい。
中村氏執筆記事
看護師が教える高齢者の食支援②食べられるお口ですか?
前回は「高齢者の食支援とは何か」をお伝えしました。 しかしながら、食のための環境を整備したり、疾患を配慮した支援をしても、実際に食べられるお口になっていないと…
被災地の第3、第4フェーズ
今回の能登半島地震では、地盤そのものが広範囲に隆起したせいで水道の復旧が非常に難しい。
輪島の中核病院でもまだ水道が使えず、通常の1/4程度しか機能していない。
中村氏が管理者を務める訪問看護ステーションの利用者は、医療依存度の高い45名が市外に移動し、現在残っているのは5名になった。
そして現在常駐している施設には約40名避難しているが、市内の他の巡回型ステーションはほとんど機能できていない。
輪島市での仮設住宅の募集は50件に対し、3000件の応募があった。
割合的には多いが、これだけ大きな災害で応募が3000件というのは少ない。
水道の復旧に数ヶ月~半年、地域によっては年単位で見ておく必要があり、仮設住宅に入って生活できるのかどうか迷うところだと思う。
そのため石川県は、遠隔地への避難を勧めている。
1.5次避難、2次避難という言葉が、今回の震災で聞かれるようになった。
学校が再開できないため、親と離れて県外に移動した受験生も大勢いる。
また、周辺のホテルや旅館に移動した人たちもいる。
受け入れ先の確保が難しいことから当日まで行先を告げられないこともあり、被災者たちは震災の被害のみならず、家族がバラバラになってしまうという未曽有の事態と向き合っている。
一方で、住み慣れたこの地に残りたいという人も少なくない。
輪島市では遠方に避難した人は3割程度だという。
比較的新しく建てたお宅では、水さえ何とかなれば…と半壊の自宅で過ごしている人もいる。
そうした中で高齢者の介護がままならず、ひどい汚染状態で発見されて中村氏にSOSの連絡が入ることもある。
自宅で過ごしている人の中には専門家のケアを受けられず、危ない状態で過ごしている人が数多に上ると思われる。
中村氏は震災からひと月経った今、『在宅ローラー作戦』を開始しようとしている。
おわりに
ようやく立春を過ぎたが、能登の冬は長い。
土地そのものが壊滅状態となったため、ライフラインのみならず、町が復興するための仕事までも困難を極めている。
そして他の震災ではさほど目に付かなかったことが、今回浮き彫りになった。
・高齢者の割合が圧倒的に増えた
・医療度の高い人が自宅で過ごしている
・建物やライフラインの老朽化
・頼るべく若者の数が減っている
・携帯の電波がつながらないと致命的
筆者自身も看護師であり、阪神淡路大震災の被災者である。
その頃は介護保険がなかったが、2000年に介護保険制度が始まり、自宅で過ごす災害弱者が急激に増加している。
同時に、この方々は情報弱者でもある。
よって19年前に比べると、急性期を脱した後の看護ケアの必要性が病院から地域全体に広がっており、支援は限りなく続く状態へと変化している。
被災者のケアに奮闘している中村氏自身、帰る家も、帰る道もないという。
夫と連絡が取れたのは被災後2週間経ってからのことだった。
その間気が気ではなかったと思うが、携帯電話がつながらないためどうしようもなかったと。
嫁家、実家の両親はそれぞれ移動となり、バラバラになってしまった。
また、電話で話を聞いた前日に、孤立した地域から救出されたスタッフと1ヶ月ぶりに再開できたと喜んでいた。
おそらく被災地では、自分の力が及ぶことと及ばないことを見極め、今の自分に出来ることに注力するのが精いっぱいなのだろうと思った。
最後に、中村氏はこう話す。
「輪島の火事で焼け死んだ大切な友だちもいる。亡くなった利用者さんもいる。だけど私は家族を一人も失わなかっただけまだいい」
「今まで経験してきたこと、学んできたことは、まるで今回の震災のための道のりだったような気もする。この場所に残りたいという人がいるかぎり、私の役割はここにあるような気がする…」
確定した未来があるわけではないが、こういうとき人は自分の使命と出会うのかもしれない。
震災は、明日は我が身。
今や災害は世界中で起こっており、その被害の大きさや数は年々増している。
もし広範囲で地震や津波が起これば、行政の支援はいつ届くかわからず、1次避難、2次避難、3次避難は十分あり得る。
そのとき私たちに必要な覚悟は何だろうか?
被災地で尽力する同職の中村氏を誇りに思い、それぞれの人生を全うしつつ、支え合える仲間でいたいと思った。
弊社のCSセットを導入している恵寿総合病院様も今回の震災で被災されました。
同病院では現在 災害でも医療を止めないためのクラウドファンディング を行っております。
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この記事を書いた人
瀨野 容子
一般社団法人日本ナースオーブ代表理事
看取り対話師協会会長
(保険外訪問看護サービス)
<経歴>
看護師経験30年
マスタープロコミュニケーター
NLPマスタートレーナー
コミュニケーションスクール講師10年
看護師向けビジネスプログラム5年
看取り対話師研修主宰
看護師執筆チーム代表
医療の知識と経験に、認知科学・心理学・日本文化等を統合し、看護を暮らしに活かすための人材教育を行う。また、多死社会に備え看取り対話師を育成し、介護~お看取りまで自由設定の保険外訪問看護サービスを行う。