
看護師になり、多くのお看取りに立ち会う中で私の死生観の原点になっているのは、9歳で経験した祖母の看取りです。今回は当時の介護事情を振り返りながら、子供心に感じたことと看護師の視点で祖母の看取りを振り返っていきます。
この記事の目次
1.在宅看取りの歴史
祖母の介護が始まったのは、1973年頃、亡くなったのは1978年でした。その頃の日本は死を迎える場所が自宅から病院へ移った転換点でした。看取りの歴史について振り返っていきたいと思います。
かつて江戸時代以前、死は原則として自宅で迎え、家族で看取っていました。自宅で看取るということが生活に根付いていたのです。また、親を介護し看取ることは親孝行として重視されていました。その生活風景が変わり始めたのは明治時代以降のことです。西洋医学が日本に入り、看取りが家庭中心から医療の対象として移り始めました。戦後結核が流行したこともあり、保健所制度や地域保健の仕組みが整い始めます。1961年には国民皆保険制度が導入され、医療ケアを受けやすくなり病院で亡くなる方が増えました。そして1976年病院死が在宅死を上回ります。
その後、2000年に介護保険制度がスタートし、訪問看護や訪問診療などの在宅医療が普及したことで、住み慣れた家で最期を迎えるための選択肢が増えました。また、病床不足や医療費増大といった社会的な理由からも在宅看取りが推進されていきます。しかしその一方で、実際に介護する家族の負担は大きく、本人の体調不良をきっかけに入院し、その後自宅に戻ることが難しくなるケースもあります。
現代の看取りにおいて大切なのは、家族の介護だけに頼るのではなく介護サービスを上手に使いながら、在宅介護の限界を認める勇気だと感じています。その理由は介護者が介護を苦痛に感じてしまったら、介護を受けている側にも伝わり、お互いが辛い思いを抱えながら、最期の時を迎えることになるからです。
私が祖母を見送ったのは、まさに看取りの場所が病院か在宅かで入れ替わった直後のことでした。制度も介護用品も少なかった時代に、なぜ私たち家族は最期まで家で介護することが出来たのでしょうか。ここからは、実際の祖母の介護と看取りを振り返ってみたいと思います。
2.祖母の家族介護の実情
私の実家は、今でこそ過疎化が進んでいますが、当時は農業が盛んな活気ある地域でした。家には、両親と祖母、そして私の4人が暮らしていました。年の離れた兄姉たちはすでに家を離れていましたが、近所には親戚がいて、頻繁に誰かが訪ねてくるような賑やかさがありました。豊かな実りを糧に、家族や親戚が自然と協力し合って生きていたと思います。
1970年代は介護保険制度がまだ制定されていませんでした。祖母の介護はそんな暮らしの中で母親中心に行っていました。この時代は女性が介護を担うご家庭が多かったようです。
2026年現在は1970年代と比較し、女性の就業率は7割を超えています。女性が介護を担うべきだという常識は薄れたように見えますが、今もなお、男性よりも女性の方が介護を担うケースが多いのが現状です。
(1)介護者である母親の仕事と介護の両立
祖母の主介護者は私の母親です。母親は働いていましたので、日中は祖母ひとりで過ごしていました。幸いなことに母親の職場は実家の近くだった為、お昼休憩には戻り、祖母の食事を準備して職場に戻っていたようです。また、母親のように働きながら介護している人は多く、お互いの介護の悩みを相談し合うなど、地域や職場が支え合いの場になっていたようです。
(2)介護の工夫
祖母の病気ははっきり覚えていないのですが、足を悪くして私が小学校に上がる前には歩けなくなり、自宅では四つ這いで移動していました。四つ這い移動ではありますが、お風呂以外は自立していました。
・入浴
お風呂は週に2~3回母親の介助で入っていました。車椅子やシャワーチェアなどはないので、小柄な祖母を抱えお風呂場に連れていき、体を洗っていたようです。
・食事
食事は皆と同じ食事でしたが、徐々に飲み込みが悪くなり、ご飯、そしてお粥を食べることが出来なくなっていきました。飲み込みの悪い祖母に、どのように食事提供していたのでしょうか。
まだ、トロミ剤がなかった時代は、トロミ付けに片栗粉が広く用いられたようです。
私の祖母も片栗粉にお砂糖を混ぜて、お湯で溶かしたものをよく食べていたのを記憶しています。私も食べてみましたが、素朴な甘さで美味しかったのを記憶しています。
・排泄
排泄は四つ這い移動なので、トイレはオマルを使用していました。トイレが出来なくなってくるとオムツになるのですが、当時は今のようなテープ式のオムツはなく布オムツ、又はフラットオムツをしてオムツカバーをするというのが一般的だったようです。1970年代はフラットオムツの普及、1983年には大人用のテープ型オムツが出来たようです。
今の製品に比べれば、吸収性や消臭力も劣っていたと思われますが、その臭いも生活の中にあり、私にとって当たり前の日常でした。
3.祖母の看取り
⑴見守ってくれたホームドクターの存在
私の実家から徒歩圏内には、家族全員がお世話になっている小さな診療所がありました。その先生が来てくださっていたと聞いています。いまで言うホームドクターの存在です。
医師がどの程度祖母のことを知っていたかは不明です。しかし、家族全員の体調を把握している医師なら祖母の性格や今までの生活の様子まで、すべて分かったうえで寄り添って下さったのだと思います。
祖母は少しずつ体力が衰え、寝ている時間が増えました。食事も摂れなくなっていましたが、
延命の為の点滴はせず、母が作った片栗粉の甘いとろとろした食事を食べられる量だけ舐めていたそうです。
⑵9歳の私に出来ること
いよいよ、祖母が旅立つ日が訪れました。私は祖母が元気だった頃、毎日していたように仏壇に手を合わせました。何故、そうしたのか理由は分かりません。ただ「おばあちゃんが天国に行きますように」その一心で子供ながら、自分ができる精一杯の気持ちを表現していたのだと思います。
布団に横たわる祖母の周りには、家族や親戚が集まっていました。病院のモニター音もなく、聞こえるのは誰かのすすり泣く声と旅立ちを見守る一人一人の心からの気持ちでした。 祖母の呼吸がゆっくりと、間隔が空いていくのを、私は遠くからただじっと見守っていました。
⑶日常の中の看取り
祖母の旅立ちはとても静かでした。「おばあちゃん、死んだの?」私は悲しさよりも先に、これまで経験したことのない非日常な光景にただ目を凝らしていました。小さな昆虫が死んでいる姿は何度も見ていましたが、目の前で人が亡くなるのを見るのは初めてのことでした。
祖母が亡くなった後、私の父親を含む子供3人と親戚が集まり湯灌の儀式を行います。逆さ水を用意し祖母を清拭していきます。「こんな小さな体で産んでくれたのだね」子供の一人が言いました。祖母は生まれたての姿に戻り、家族に身体を清めてもらいます。その光景を見ながら、死は怖いものではなく、日常の中にある当たり前で、温かなものなのだなと教わったのだと思います。
4.まとめ
私にとって祖母は、両親よりも甘えることができる唯一の人でした。そして、無条件に可愛がってくれる存在でもありました。忙しく働く母親に代わり、祖母の膝の上で頭を撫でてもらい、髪をとかしてもらう時間は、幼い私にとって何よりも温もりを感じられる大切な時間でした。
その祖母の看取りは、私たち家族にとって、あくまでも日常の中にありました。家族が看取りを経験し、命の終わりを見届けるのは、ごく自然なことだったのです。
現在、在宅看取りが推進されていますが、自宅で大切な人を最期まで看取ることができる家族は限られているかもしれません。ですが、単に治療の過程や延命だけに意識を向けるのではなく、老いていく過程や、少しずつ何かができなくなっていく姿を、ありのままに受け取り、慈しむことも大切なのではないでしょうか。
こうして振り返ってみると、当時は介護用品も制度もなく、本当に不自由な時代でした。しかし、今のように介護情報や正解とされるマニュアルがなかったからこそ、家族は迷いなく介護が出来たのだと思います。周囲のやり方に左右されることなく、祖母の日々の様子や体調に合わせ、試行錯誤を繰り返しながら向き合うこと。その時間が、結果として後悔のない看取りに繋がる大きな要素だったのだと、今になって強く感じています。
第2回目は「親を看取れなかった後悔」についてです。 穏やかだった祖母の最期とは対照的に、父親に対して「さよなら」と言えなかった経験があります。その後悔から学んだことを次回の記事でお伝えします。
<参考文献>
武士の介護休暇 崎井将之著
一般社団法人 日本衛生材料工業連合会 | 紙おむつ・軽失禁
超高齢社会における終末期の医療と介護
この記事を書いた人
郷堀有里夏
<プロフィール>
看護師経験30年。急性期病棟やICUを10年経験した後、施設看護や訪問看護、ケアマネジャーとして多くの介護を必要とする方々やそのご家族と関わる。
県外で勤務していた頃、母親が介護状態となり地元へ帰省する。
仕事と介護と自分の人生に悩んでいた頃、認知科学を学ぶ。
学びを通してわだかまりのあった親子間や家族間の葛藤を解消し、介護中に修復する事が出来た。そして、母親を施設から引き取り家族と共に在宅看取りを行うことが出来た。
自身の経験を通して、「健やかに自分らしく生きること」や「安心して介護や看取りが行える環境づくり」が重要だと感じ、心の介護専門家として講座やお話会を通じ情報を提供している。
<経歴、職歴>
(一社)日本ナースオーブ所属 Wellnessナース
看護師経験30年(訪問看護管理者、施設看護、介護支援専門員、救急センター、ICU)
保険外自費サポート ひかりハートケア登録ナース
<講座>
親にイライラしない介護コミュニケーション/ウェルネス講座
<その他の活動>
心から看る介護と認知症のお話会
後悔しない親の介護 / ブログ
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