目次

親を看取れなかった後悔 ~さよならも言わずに旅立った父の最期から学んだこと~

今回の記事は、父親の最期に立ち会えず、長年後悔の念に囚われていた私から、いま「親の最期に立ち会えなかったらどうしよう」と悩んでいる方、そして「立ち会えなかった」と自分を責めている方へ向けてお届けします。

この記事の目次

1.無言の再会

私は父親が50代、母親は40代の時に生まれた子供です。幼い頃から両親との別れは友達に比べ早く訪れるかもしれない。という覚悟をどこかで持っていました。

父親が亡くなったのは私が30代の頃です。当時父親は80代でした。高血圧や痛風などの持病はありましたが、比較的元気に過ごしていました。軽い認知症状は出ていたようですが、亡くなる前日まで親戚と母親と食事を楽しんだと聞いています。死因は不慮の事故でした。父親を避けるように実家にはあまり帰っていなかったので、久しぶりの再会は、皮肉にも父親が物言わぬ姿になってからのことでした。

当時、私は父親との距離を置き関わらないようにしていましたが、それは父親に嫌悪感を抱いていたからです。しかし、これは私の長年の思い込みだったと気付くことになります。それは父親の死後10年以上たったころ、認知科学やコミュニケーションを学んだことで、父親を拒絶してきた背景は私の長年の思い込みであったと気付かされたのです。

2.後悔しない為のポイント

もし今、親に対して拭いきれない嫌悪感や葛藤を抱えている方がいたら、ぜひ知っておいてほしいポイントがあります。

それは、自分の親の記憶や親に対する感情は、私たちの脳の中でどのように形作られているのかという仕組みを理解することです。

親子関係やあらゆる人間関係のすれ違いは相手を自分の思い込みのフィルターを通して解釈してしまうところから始まります。例えば私の記憶の中には「母親に対して冷たい態度をとる父親」という断片が深く刻まれていました。一生懸命に子育てや仕事をしている母親をなぜ傷つけるのかが理解できず、その側面だけで「父親は悪い人だ」というレッテルを貼ってしまっていたのです。

しかし、人間の脳には「自分に都合の良いように解釈し、特定の記憶だけを強化する」というクセがあります。これは危険から身を守ろうとする生存本能に基づいた防御反応でもありますが、時に真実を歪めてしまいます。

冷静に振り返ってみると別の光景が目に浮かびます。遊具を作ってくれたこと、学校に通わせてもらったこと、人並みの生活ができたこと、夢を応援してくれたこと、娘をもつ親として支えてくれていたと分かります。そして何より、父母は二人で汗水流して農業をしていた唯一無二のパートナーでした。古い写真には笑いあう二人の姿、そして父親の死に直面し母親は悲しみに明け暮れていたことが、言葉以上に二人の絆を物語っています。

人間は誰しも、嫌な出来事やマイナスの感情に強く反応してしまう生き物です。 けれど、それは心が狭いからではなく、脳が備えている本能なのです「これは脳のクセなのだ」と一歩引いて理解するだけで、長年縛り付けてきた親子関係の重荷は、軽くなっていくのではないでしょうか。

3.突然の別れで学んだこと

看護師として多くの最期に立ち会うなかで、私はご家族から「最期に立ち会えなかった」「伝えたい気持ちを言えなかった」という後悔の言葉を、何度も耳にしてきました。

私たちはつい、「最後の瞬間にこそ、ありったけの感謝を伝えなければならない」と考えがちです。一方で、「ありがとう」と口にすること自体が、まるで永遠の別れを急かしているようで、縁起が悪いとためらってしまう方もいらっしゃいます。

しかし、ここで私がはっきりとお伝えしたいのは、「看取れなかったこと」と「愛情の有無」は、決してイコールではないということです。本来、「看取り」とは、人生の最期の瞬間に立ち会うことだけを指すのではありません。

たとえその瞬間にそばにいられなかったとしても、それまでに積み重ねてきた時間、交わした言葉、時に共に悩みながら過ごした日々のすべてが、広義の「看取り」なのです。

最期の数分間に一緒に居られなかったという点で、これまでの何十年という家族の愛の歴史を否定する必要はないのです。むしろ、人が旅立つ瞬間にあえて独りになることを選ばれる方もいらっしゃいます。それは、残される家族に「死の過程」を見せたくないという、旅立つ側の最後の優しさであるようにも感じられるのです。だからこそ、私たちは「いつか来る最期の瞬間」にすべてを懸けるのではなく、まだ言葉を交わせる今のうちに、日々の何気ないコミュニケーションを大切にするべきなのです。

4.まとめ

私たちは、自分自身のこの人はこういう人だという思い込みというフィルターを通して、目の前の大切な人を見ています。しかし、その思い込みによって生じるコミュニケーションのすれ違いに早く気づくことができれば、看取る側にとっても旅立つ人にとっても、より後悔せず納得のいく日々を過ごせるようになると思います。

私自身、父親が亡くなった後は長い間、後悔の念に囚われていました。けれど、脳の仕組みを知り、自分の感情や思考を客観的に見られるようになったことで、一つの真実に行き着きました。

親子関係は、たとえ相手がこの世を去った後であっても、自分自身の内側で新しく紡ぎ直すことができるのです。過去の出来事を変えることはできません。けれど、その出来事の解釈を今この瞬間から変えることはできます。

・「冷たかった父親」という記憶を、「不器用な愛を注いでくれていた父親」という解釈へ。
・「間に合わなかった看取り」を、「今もなお自分の中で繋がり続ける絆」へ。
このように解釈を変えることが出来ます。

もし今、葛藤の中にいる方がいらしても、遅すぎることはありません。今までの解釈を少し変えて関係性や出来事を見つめ直してみるのも良いかもしれません。それが後悔のない介護、看取りへ繋がっていくはずです。

次回は治療を選ばなかった患者さんについてお伝えします。


この記事を書いた人

看護師:郷堀有里夏

郷堀有里夏

<プロフィール>

看護師経験30年。急性期病棟やICUを10年経験した後、施設看護や訪問看護、ケアマネジャーとして多くの介護を必要とする方々やそのご家族と関わる。

県外で勤務していた頃、母親が介護状態となり地元へ帰省する。

仕事と介護と自分の人生に悩んでいた頃、認知科学を学ぶ。

学びを通してわだかまりのあった親子間や家族間の葛藤を解消し、介護中に修復する事が出来た。そして、母親を施設から引き取り家族と共に在宅看取りを行うことが出来た。

自身の経験を通して、「健やかに自分らしく生きること」や「安心して介護や看取りが行える環境づくり」が重要だと感じ、心の介護専門家として講座やお話会を通じ情報を提供している。

<経歴、職歴>

(一社)日本ナースオーブ所属 Wellnessナース

看護師経験30年(訪問看護管理者、施設看護、介護支援専門員、救急センター、ICU)

保険外自費サポート ひかりハートケア登録ナース

<講座>

親にイライラしない介護コミュニケーション/ウェルネス講座

<その他の活動>

心から看る介護と認知症のお話会

後悔しない親の介護 / ブログ

人生が豊かになる介護メルマガ


著者の Facebook
https://www.facebook.com/yurina.gohori/

よろしければシェアをお願いします
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
この記事の目次