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介護のバーンアウト 看護師がみた介護の限界!

バーンアウトという言葉をご存知でしょうか。「燃え尽き症候群」のことを指します。熱心に仕事や目標に取り組んでいた人が、過度の心身の疲労により突然意欲やエネルギーを失い、無気力な状態に陥ることです。一般的に、仕事や育児で言われている燃え尽き症候群ですが、近年介護でも言われるようになってきました。

私の母は看護師で、私自身も看護師をしています。家庭内に二人も看護師がいて、在宅での介護は問題なく行えていると思う人も多いと思います。実際に両祖母の介護の時に

「いいわねえ、看護師さんが二人も居て。お母さんは幸せねえ。」と幾度となく言われてきました。

医療に通じている看護・介護のプロでもバーンアウトするのは一般の人と同じようにあります。私が見てきた母の介護の様子をお伝えします。

この記事の目次

1.介護のキーパーソンとは

私の母は、父方と母方の祖母を二人とも介護し、自宅で看取りました。在宅でのキーパーソンは母でした。

キーパーソンとは、介護・医療サービスを在宅で行うための「ケアの責任者」を指します。

具体的な役割として

・ケアマネージャーや医師との連絡窓口

・介護方針の決定

・各種サービスの契約・事務手続き

・生活支援

を行います。

介護保険の利用のみならず、病院、クリニック、往診、施設、リハビリなど、あらゆる場面で介護の中心的存在になる人がキーパーソンです。さまざまな人が連絡してきます。

もちろん一緒に住んでいる私や家族も介護の手伝いをしていましたが、母がキーパーソンとなり決定権を持っているため、何をするのも母の存在が必要不可欠でした。

実母の在宅介護の時には、母は仕事をしていました。ヘルパーステーションの立ち上げから、管理者として勤務しており、ヘルパーを派遣する段取り、訪問先の状況把握やヘルパー業務の調整、訪問するヘルパーの指導なども行っており、忙しくしている中で実母が寝たきりとなり、要介護5となりました。

2.キーパーソンが危ない

この頃の家族構成は、母(66歳)と父(71歳)、私(娘41歳)、息子(孫息子8歳)でした。父が定年退職後、自宅に居たので、訪問看護やヘルパーの対応をしていました。私は、看護師として働いていましたが、夜勤前に食事介助したり、ヘルパーと一緒におむつ交換したり、入浴介助などを行っていました。

小学生の孫息子は、私や父、大人の動きを見て手伝ってくれていました。働きながらも、家族の支援もあり祖母の介護は成り立っていました。この頃母は、管理者として二か所も介護事業所を立ち上げるほど、精力的に仕事を行う傍ら、家庭では実母の介護をすることになりました。

仕事では冷静に関わることができていましたが、相手が実母だと感情的になることがあり、食事介助の途中に自室に引きこもってしまうようなことも度々ありました。また、祖母は口を開けてくれないうえに周囲のことが気になりだすと食事に集中できないほどに認知症状は悪化していました。そのため、食事に2時間かかることもありました。

 

万人に愛情と真心とプロ意識をもって介護の仕事が出来るほどの人でも、実の親となると感情的になるシーンが多く見られました。元気なころの親と認知症になって介護が必要な状態の現状とのギャップを受け止められずもがいているように見えました。

3.献身的に介護する母の姿①

母は長男の妻であり、今でこそ長男の妻が義実家の親を見る風潮は少なくなってきましたが、母の時代は長男の妻が介護に入ることが当たりまえでした。さらに姑や小姑も厳しい態度でした。

祖母は気が強く、言い方もハッキリしており、対して母はのんびりした性格でした。そんな嫁姑の関係を見て育った私は、疑問に思って一度聞いたことがありました。「意地悪されているのは分かっていたけど、私が遅いからイライラさせてしまっているのだと思う」と言っていました。

ですが私は母を悪く言われたくない一心で、祖母宅に遊びに行ったときはお手伝いを率先して行い、笑顔ではきはきと返事をして、弟たちの面倒を見ていました。そして、そんな祖母も、101歳で「余命半年から1年」と医師から言われ、最後は看護師である長男の妻である母に看てもらいたいと引っ越してきました。

母は祖母のために父と母の部屋の隣に居室を作り、新しい寝具を揃え、毎日のように晩酌用を準備し、食事も工夫していました。母の介護の甲斐あって、やせ細っていた祖母はみるみる元気になっていきました。

余命の半年を超え、103歳の誕生日祝いをしましたが、その2か月後、朝ご飯の後に転倒して右腕と右肩を骨折しました。一般的に、100歳近い高齢者だと日常生活が自立している人であっても、骨折や病気をきっかけに簡単に寝たきりとなってしまうケースはよくあります。

この場合、手術にはさまざまなリスクが懸念されるため保存治療の選択をすすめることが多いですが、祖母の場合は認知能力が低下することなくほぼ正常な状態でした。そのため、痛みが緩和できる程度に整復する手術を行いました。

そんな祖母ですが、環境が変わり入院せん妄を起したため食事を摂らなくなりました。そこで母は、在宅介護に切り替えることを医師に相談し術後1週間という異例の早さで退院することになりました。

この時、祖母は103歳 母は76歳、父は81歳の超高齢老々介護でした。骨折後のため右腕が使えず、身体の向きも自分で変えることができない祖母は全介助となり、要介護2から要介護5へと一気に変わりました。

4.献身的に介護する母の姿②

母は在宅医に依頼して、祖母に点滴をしてもらいながら介護を続けます。胃ろうを造ろうと検討しましたが年齢的に難しく、口から食べることと、点滴でカロリーと水分補給を併用して在宅での生活をつづけました。

高齢であるためやせ細った腕は皮膚も弱く、乾燥している肌は少しの刺激でも破れやすいため、点滴している間は動かないよう毎回付き添っていました。自分で動くことができなくなった祖母のため訪問入浴を依頼しますが、タオルドライするだけで皮膚が裂けてしまうことも多々ありました。裂けた時は毎日、処置をして大事に、丁寧に介護を続けていました。

栄養が摂れず水分摂取も思うように進まなくなると、認知機能が一気に衰え夜間せん妄が始まりました。毎晩大声で叫ぶため、昼間に寝ないように車いすへ乗せて自宅内を散歩させたりしますが効果はなく、介護していた父も母も寝不足状態で毎日介護を行っていました。

そして、、夜中に大声で叫んでいた祖母ですが、あるとき母がふと部屋にいくと、たった一人で静かに永遠の眠りについていました。そのとき母は私を呼び、大声で泣き崩れました。

5.介護が終わるとどうなる?

母は何に対しても100%の力を出し切る人でした。ですが家庭内ではかなり適当なところがあり、力の抜きどころを知っているバランスの取れた人でした。

そんな母が、実母が亡くなった66歳の頃と、姑が亡くなった75歳の頃、気が抜けたように空っぽになっていました。葬儀が終わって遺骨を抱えて帰ってきたとき、空っぽになったベッドを眺め、泣きながらテレビを観ていました。たぶん観ているけど、頭の中は別のことを巡らせているような様子でした。

66歳で実母を亡くしたときは仕事があり、趣味のコーラスがあり、宗教的な人間関係があり、いつの間にか元に戻ったという感じでした。ところが75歳で姑を亡くしたときは、介護のためにコーラスグループを辞め、仕事も辞めていたため、姑の介護が日常のすべてになっていました。そのため母は、もぬけの殻になってしまっていました。

通常、介護が終われば自分の人生に戻れると思いがちですが、長年介護をしていた人には介護がすべてであり、自分の存在価値そのものになってしまうことが少なくありません。しかしながら介護している本人は、そうした状態に気づくことができないのです。それほど入り込んでしまうのが介護の怖さなのだと、私は母の様子を見て感じました。

6.バーンアウト症候群にならないために

私にとっての祖母たちは、血のつながりはあっても母ほどの思い入れはなく、「あ~、これで、母が楽になれる」「介護から解放されて自由になってくれる」と思いました。ですが母は喪失感のせいかぼーっとしていることが多く、睡眠薬を飲まないと眠れない夜が続きました。

母がもとの元気な母に戻るまで数年間かかりました。私たち子供一家が同居していたこと、夫である父が居たこと、そしてご近所さんとの付き合いがあったからこそ、母は徐々に自分の役割を取り戻すことができたのだろうと思います。必ず誰かが声をかけたり、出かけるときに誘ったり、母に頼ることがあるから。

一方、もし親の介護だけで一日が終わってしまい、他者との関係が一切ない"介護ぼっち″だったら。自分の人生を取り戻すために、いったい何から手をつければいいかわからなくなるだろうと思います。今、ご家族の在宅介護に携わっている人へ私が伝えたいことは、どうか介護だけにのめり込まないでほしいということです。

看護・介護のプロであっても、介護が終わるとバーンアウトが起こります。燃え尽きてしまうのです。たとえ24時間365日介護に追われているとしても、社会資源を使って一時的に介護から離れるようにしてください。そしてどんなに忙しくても、可能なかぎり周囲との人間関係を続けて、ご自身の人生を守ってくださいね。

この記事が、在宅介護に携わるご家族の一助となりますように。


この記事を書いた人

看護師:栗巣正子 <経歴> 看護師歴 23年  大阪府堺市で、50床~2000床の病院勤務(内科、外科、手術室、整形外科、療養病棟)。 離婚後、鹿児島県鹿屋市にて、老人保健施設、透析専門クリニックに勤務 大手生命保険会社に、営業主任として3年勤めた後、地域密着型の内科総合病院に17年(介護保険病棟、療養病棟、急性期病棟、心臓内科、腎臓内科、肝臓内科、消化器内科、呼吸器内科、腹膜透析、血液透析、外来、救急外来、訪問看護)勤める。 現在は、派遣ナース、非常勤での健診スタッフ、訪問看護指示書作成等の委託業務、ナース家政婦登録 <資格> 正看護師/普通自動車免許/大型自動車免許/けん引免許/たん吸引指導者/ペットセーバー/労災ホームヘルパー(A)

看護師:栗巣正子

<経歴>
看護師歴 23年 
大阪府堺市で、50床~2000床の病院勤務(内科、外科、手術室、整形外科、療養病棟)。

離婚後、鹿児島県鹿屋市にて、老人保健施設、透析専門クリニックに勤務

大手生命保険会社に、営業主任として3年勤めた後、地域密着型の内科総合病院に17年(介護保険病棟、療養病棟、急性期病棟、心臓内科、腎臓内科、肝臓内科、消化器内科、呼吸器内科、腹膜透析、血液透析、外来、救急外来、訪問看護)勤める。

現在は、派遣ナース、非常勤での健診スタッフ、訪問看護指示書作成等の委託業務、ナース家政婦登録

<資格>
正看護師/普通自動車免許/大型自動車免許/けん引免許/たん吸引指導者/ペットセーバー/労災ホームヘルパー(A)

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