2026年7月NHKでは看護を題材にした朝の連続ドラマ「風、薫る」が放映されています。
二人の主人公が「看護とは何か」という問いに向き合い、悩み迷いながら成長する物語です。この問いは、150年以上前にナイチンゲールが看護の本質を示して以来、今もなお、多くの看護師が向き合い続けているものです。私自身も、その答えを探し続けてきました。その過程で出会ったのが、紙屋克子氏の「あきらめない看護」です。
看護の世界には、ナイチンゲールの名を冠した「フローレンス・ナイチンゲール記章」という賞があります。世界各地で顕著な功績をあげた看護師などに贈られる、看護界で最も名誉ある賞の一つです。
2025年、この記章を3人の日本人看護師が受章し、その中の一人に、紙屋氏の名前がありました。
医師から回復は難しいと言われた人にも、「人には回復する力がある」と信じ続けた看護。その実践が、世界から高く評価されたのです。
今回は、紙屋氏の「あきらめない看護」がどのように始まり、患者さんの生活と尊厳をどのように支えてきたのかを紹介します。
この記事の目次
1.あるご家族が教えた「治る」ことの意味
紙屋氏は、北海道大学医学部附属病院の脳神経外科で看護師人生をスタートさせました。
働き始めて半年ほどが過ぎ、少し業務に慣れてきたと感じていた頃のことです。
紙屋氏は、その後の人生を変える患者さんとご家族に出会いました。
患者さんは若い男性でした。脳腫瘍の手術は成功しましたが、意識は戻らず寝たきり状態が続いていました。
ある日、紙屋氏が経管栄養を行っていると、小さなお子さんを連れた奥様から、次のように言われたそうです。
「こんなの、治してもらったことにはならない」
「この人は、声を出すこともなく、私や子供と、他人であるあなたと区別することもできない」
当時の紙屋氏は、手術が成功すれば、医学的な治療は終わったと考えていました。
意識障害が残った患者さんに対しても、それ以上できることはないと思っていたそうです。
そのため、ご家族の言葉は、頭の中が真っ白になるほどの衝撃でした。
ご家族の悲痛な訴えを聞いたことで、看護師として自分に何ができるかを模索する日々が始まりました。
2.50年以上続く「あきらめない看護」の始まり
意識障害のある患者さんへの看護は、栄養補給や排泄の援助など、命をつなぐために必要なケアを行うことだと考えられがちです。
当時はご家族さえも、「これ以上できることはない」と受け入れざるを得ないことが少なくありませんでした。意識障害患者に対する治療の限界が、そのまま看護の限界であるかのように考えられていたのです。
紙屋氏は、患者さんのご家族の言葉を機に、「治るとは何か」という問いを胸に、自分自身の日常生活を見つめ直しました。
朝、身体を起こす。
人と話す。
季節を感じる。
今日の日付を知る。
食事をする。
これらは、多くの人にとって何気ない日常です。
紙屋氏は、目覚めて活動している時間にこそ、人としての生活があると気付きました。
そして、「意識障害のある人にも、できる限り同じ生活を届けられないだろうか」と考えました。
そこで、まず睡眠と覚醒リズムを調整することから取り組みを始めました。
さらに、生活の中で繰り返されるさまざまな刺激が、残された能力を引き出すのではないかと考え、日々の生活に必要な刺激を繰り返し届ける看護を実践しました。
固くなった関節と筋肉を、柔らかくほぐして身体を起こす。
反応がなくても名前を呼び、その日の日時や天候を繰り返し伝える。
故郷や仕事の思い出などを、ときには問いかけも交えながら語りかける。
当時、紙屋氏は新人看護師でした。「もっと先に覚えることがあるでしょう」と先輩から言われながらも、自分の信じた看護をあきらめませんでした。
そんなある日、「私の手を握って」という紙屋氏の声かけに応じ、患者さんが手を握り返したのです。
その光景を目の当たりにした先輩看護師たちも、新しい看護への理解を深め、協力するようになりました。勉強会も開かれ、意識障害のある患者さんに必要な看護についてスタッフ全員で模索する環境が少しずつ整っていきました。
このように、一人の患者さんとご家族との出会いが、紙屋氏の看護師人生を大きく変えたのです。
そして、「生活行動の刺激を届ける」という思いから始まった「あきらめない看護」は、50年以上にわたって、多くの患者さんとそのご家族を支えることになります。
3.世界が認めた看護
こうして始まった「あきらめない看護」は、病院だけにとどまらず、教育の場へも受け継がれ、多くの患者さんの回復を支えてきました。
この看護は体系化され、現在では遷延性意識障害・寝たきり患者のための生活行動回復看護技術(NICD)として確立されています。
詳しくは『「植物状態」と言われたご家族の絶望を希望に変える看護』をご参照ください。
看護の母とも称されるナイチンゲールは、人間には病気から回復する力が備わっており、看護の役割は、患者がその力を発揮できるよう環境を整えることだと説きました。
NICDは、患者さんが本来持つ力を引き出し、その人らしい生活を取り戻すことを目指す看護です。
その考えは、ナイチンゲールが説いた看護の理念にも通じています。
紙屋氏の長年にわたる実践は高く評価され、2025年、フローレンス・ナイチンゲール記章の受章につながりました。
授賞式では、「『諦めない看護』は、常に患者のそばにあり、意志の表出が困難な患者の尊厳を守り、社会へ包摂される最後の砦である」と称えられました。
世界が評価したのは、生活を取り戻す技術だけではありません。
意識障害のある人を「何もできなくなった人」ではなく、「生活する一人の人」として尊重し続けた、看護の姿勢だったのです。
その考え方は、地域へも広がっていきました。
紙屋氏の呼びかけから始まった「ケア付き青森ねぶた“じょっぱり隊”」では、ケアを必要とする高齢者や障害者が、車椅子のまま跳人(はねと)として祭りに参加できるよう、専門職とボランティアが支えました。
1996年から始まったその活動は、新型コロナウイルスの感染が拡大する前まで、20年以上にわたって続けられました。
参加者の中には、ねぶた祭への参加を目標に日々のリハビリに励んだ方もおり、「生活を取り戻す」という紙屋氏の看護が、病院の外へ広がった象徴的な取り組みとなりました
まとめ
紙屋氏が目指したのは、意識障害のある人にも「生活を届ける」ことでした。その「あきらめない看護」はNICDとして受け継がれ、病院だけでなく地域社会へも広がっています。
私は、紙屋氏の「あきらめない看護」の先にあるものは、障害の有無にかかわらず、一人ひとりがその人らしく、地域の中で笑いながら暮らしていけることなのだと思います。
≪引用・参考文献≫
紙屋克子『私の看護ノート』医学書院、1993年
『第50回フローレンス・ナイチンゲール記章授与式』パンフレット
湧別町ホームページ
日本ヒューマン・ナーシング研究学会編『意識障害・寝たきり(廃用症候群)患者への生活行動回復看護技術教本』メディカ出版、2015年
「筑波大学名誉教授 紙屋克子先生『生活行動回復看護』」『 Happy Spiral 桜十字の医療と介護 vol.57』
≪参考資料≫
中外製薬
日本ヒューマン・ナーシング研究学会編.意識障害・寝たきり(廃用症候群)患者への生活行動回復看護技術教本.メディカ出版.2015年
この記事を書いた人
看護師:青木 容子
〈プロフィール〉
看護師経験30年
(病院勤務通算8年、身体障害者施設3年、訪問看護15年、そのほか新生児訪問指導など)
現在は特別養護老人ホームなどで勤務する傍らCANNUS新長田を運営中。
紙屋克子氏らから、NICD:意識障害・寝たきり(廃用症候群)患者への生活行動回復看護を、黒岩恭子氏からは黒岩メソッドを学び、実践するとともにそれらの普及を目指している。