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「おめでとう」と言われた最期~死を肯定する看取りを経験して~

もし、あなたが家族を看取ったと身近な人に告げた時、「おめでとう。」と言われたら、どのような感情を抱くでしょうか。私はその言葉を受けた時、母の人生全てを肯定してもらえたように思え、嬉しかったのを覚えています。今回は私の母の看取りと、そこから得た心の変化について書いています。

この記事の目次

1.はじめに

大切な人との別れは悲しく、深い喪失感を伴うものです。そんな時、周囲からかけられる言葉は残された家族の心を大きく左右させます。

遺された家族の心に響くのは、故人を偲ぶ思い出話や、介護を労う温かな言葉ではないでしょうか。

「いつも励ましや、笑顔で接して下さって救われていました。」

「素敵な人生を歩まれてこられたのですね。」

「感謝しても足りないぐらいお世話になったのです。」

「あなたに介護してもらって、本当に幸せだったと思います。」

「本当によく頑張って介護されましたね。」

「寂しくなりますね。いつでも連絡してきてくださいね。」

深い喪失感の中にいる家族に対し、言葉選びは非常に繊細なものです。どのような言葉が家族の心を癒し、あるいは介護の苦労を労い、故人の人生を讃えることが出来るのでしょうか。

また、普段は遠ざけてしまいがちな死や看取りですが、最期にどんな言葉で見送り、見送られたいのか私自身の体験を通し、心の変化を振り返ってみたいと思います。

2.母の介護と家族の変化

介護するうえで家族の関係性はとても重要な要素です。価値観の違いから関係性がこじれてしまうことも少なくないからです。

私には4人の兄姉がいますが、実は長年、兄に対して苦手意識を抱いていました。無口で何を考えているか分からず、怒ったら怖い人だという印象がずっとあったのです。また、お世辞にも社交的とは言えず話しかけづらさを感じていたのです。しかし、母の介護においてキーパーソンになっていたのはその兄でした。

コロナ禍により施設での面会が制限されていた頃、母の入院をきっかけに久々に直接面会できる機会がありました。その時、真っ先に母に駆け寄り「大丈夫か?」と背中を優しくさすっていたのは兄だったのです。その姿を見て私は驚きと嬉しさで胸がいっぱいでした。兄が変わったのではなく、私自身が怖くて気難しい人という思い込みの眼鏡を通して兄を見ていただけだったのだと気付かされたのです。

それ以来、私は兄のことを母が穏やかな日常を過ごせるよう、共に協力しあえる家族だということを意識し接するようになりました。すると、当初は反対されていた在宅介護を兄が承諾してくれることになったのです。更には数年間、母と疎遠になっていた姉との誤解を解くことにも協力してくれました。私自身の思い込みを手放したことで、バラバラだった家族の関係性が以前のように戻り、姉も母と面会が出来るようになりました。

3.母の看取り

入所していた施設は看取りをおこなっていたので、もし母を看取ることになったら、私は施設に付き添う気持ちでいました。しかし、コロナ禍の影響で私が願っていた施設での看取りは難しいだろうと判断し、私は前述したように兄に許可を得て在宅介護を決意します。

「家に帰りたい。」それが施設入所していた母の切実な願いであり、兄姉との仲をずっと心配していた母の私に対する思いでもありました。兄の了解を得て在宅介護に切り替えた3日後、母は私たち兄姉に見守られながら旅立ちました。

最期の時、兄姉と私の5人でベッドを囲み、その時を待ちました。母に対する感謝と尊敬と愛情、そして込み上げる寂しさをそれぞれが母に伝えていきます。母の手を握り、頭や手を撫でながら時折笑みがこぼれます。みんなで競うように「お母さん。」と呼び続ける時間は、まるで子供の頃に帰り、全員で母に甘えているかのようでした。不謹慎かもしれませんが、その時間がとても愛おしく思えました。

「お母さん、ありがとう。よく頑張ったね。」

「お母さん、安心していいよ。仲良くやっていくからね。」

「お父さんにやっと会えるね。」

兄姉と談笑している時でした。安心したかのように、母は静かに息を引き取りました。振り返ってみるとそこにあったのは悲しみだけでなく、全ての役割を果たし終えた母の安堵感だったのではないかと思います。

4.祝福の言葉と私の心の変化

母の旅立ちを友人に報告すると「おめでとう。お母さん、幸せだったね。」という言葉をかけてくれました。

この意外な言葉に驚かれるかもしれませんが、私の介護の過程と家族の歩みを知ってくれていたからこその、温かな思いのこもった言葉でした。その言葉は、母の人生と最後まで向き合った私たちの存在を丸ごと肯定してくれていると感じ、胸に響きました。

自宅で最期を迎える姿を子供たちに見せ、バラバラになりかけた家族をまた一つにすることが母の最期の務めだったのだと思います。親は必死に生き老いて、そして旅立つ準備を始めます。それに合わせて子供達も人として成長していくのだと思います。

この看取りの経験が私自身の人生観を大きく変えました。社会的な成果や肩書ではなく、人間関係の中で心を通わせることこそが本当の幸せなのだと実感したのです。母の死は不幸ではなく、新しい人生へと向かう私の背中を押してくれる出来事になりました。

また以前は、死について語ることがタブーだと思っていました。しかし、死を語らなければ自分の人生の歩みを想像できないということにも気づきました。最期の時、どんな言葉で見送られたいか、そして自らが旅立つ時に何を思うのかを考えることで、人生がより豊かになるのではないかとも思うのです。

5.まとめ

人間は生まれた瞬間から死に向かって生きています。生きていく中で何のために生まれ、どう命を使うのかを誰もが模索します。死から目を背けずに語り合うことは、自分自身の命の使い方や生き方に向き合うことにもなります。

母は自らの死を通して家族の輪を再生し、私たちそれぞれの心に大きな気付きをもたらしてくれました。母は最期まで母親というアイデンティティを強く持ち、その役割を全うしたのだと思います。

大切な人が亡くなった時、「おめでとう。」と言うことは、一見すると不適切に思えるでしょう。しかし、旅立つ人と残された家族が歩んできた背景を知ることができれば、「おめでとう。」という言葉は、その人生を丸ごと讃える最高の言葉になり得るのではないでしょうか。

看取りとは残された家族が、旅立つ人の存在や経験をそれぞれの人生の中に活かし、新たに歩み出す儀式のようなものだと思うのです。また、「おめでとう。」と言う言葉は他者に対して軽々しく言える言葉でもありません。しかし、これから家族を介護し看取る中で、旅立つ人の人生や命を丸ごと肯定する祝福の眼差しがあっても良いのではないかと私は思います。

いままで様々な看取りの経験をお伝えしてきました。今、介護の最中にあり、いつか来るお別れに不安を感じている方にとって、この5回にわたる記事が少しでも参考になれば幸いです。


この記事を書いた人

看護師:郷堀有里夏

郷堀有里夏

<プロフィール>

看護師経験30年。急性期病棟やICUを10年経験した後、施設看護や訪問看護、ケアマネジャーとして多くの介護を必要とする方々やそのご家族と関わる。

県外で勤務していた頃、母親が介護状態となり地元へ帰省する。

仕事と介護と自分の人生に悩んでいた頃、認知科学を学ぶ。

学びを通してわだかまりのあった親子間や家族間の葛藤を解消し、介護中に修復する事が出来た。そして、母親を施設から引き取り家族と共に在宅看取りを行うことが出来た。

自身の経験を通して、「健やかに自分らしく生きること」や「安心して介護や看取りが行える環境づくり」が重要だと感じ、心の介護専門家として講座やお話会を通じ情報を提供している。

<経歴、職歴>

(一社)日本ナースオーブ所属 Wellnessナース

看護師経験30年(訪問看護管理者、施設看護、介護支援専門員、救急センター、ICU)

保険外自費サポート ひかりハートケア登録ナース

<講座>

親にイライラしない介護コミュニケーション/ウェルネス講座

<その他の活動>

心から看る介護と認知症のお話会

後悔しない親の介護 / ブログ

人生が豊かになる介護メルマガ


著者の Facebook
https://www.facebook.com/yurina.gohori/

HP:日本ナースオーブ

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